サービス残業の起源
旧ソ連加盟国出身者との会話…
私「日本では在学中に就職活動をして、3月に学校を卒業すると4月から一斉に働き始める」
旧ソ連加盟国出身者「なんて素晴らしいシステムなんだ!」
私「なんで?」
旧ソ連加盟国出身者「わたしの国では、学校を卒業しても就職先がないから、卒業した途端ニートになる」
日本は残業大国である。
実は日本の労働時間はアメリカより短い、なんて統計結果もある。
また一方で「サービス残業がカウントされていないから」という意見もある。
ともかく多くの人の実感は、「日本人は長時間労働しがちでサービス残業も辞さない」であることは確かだろう。
なぜ日本では、サービス残業―世界でも類を見ない契約外労働―がはびこるに至ったのだろうか?
サービス残業が起こる条件
企業側から見て、従業員がサービス残業してくれるほどおいしい状況はない。
敢えて記述するまでもないが、
売り上げ - 費用 = 利益
の費用を増やさずに売り上げ、ひいては利益を増やせるからだ。
だから会社は社員研修等で従業員を 洗脳 教育するのに忙しい。
「給料ばかりにこだわる人はみみっちい。あなたが取り組んでいる仕事は社会貢献という尊いものだ」
といった具合に。
一方、働く側から見て、サービス残業をやらなければならない状況は、極めて不利な条件を飲まされていることになる。
サービス残業は、何らかの形で「企業優位・働く人劣位」という条件が存在しなければ起こり得ない。
「企業優位・働く人劣位」はどんな状況で起こるのだろうか?
それは言うまでもなく 労働力の 供給 > 需要 のときだろう。
オーストラリアのブラック職場
過去記事
において、オーストラリアの雇用形態は、働く人の権利が十分に守られていることを述べた。
ヨーロッパ先進国同様、オーストラリアが「ホワイト」だというイメージは誤りではないと思う。
ところがそんなオーストラリアにおいても、ブラックな職場は存在する。
移民大国オーストラリアゆえの、「企業優位・働く人劣位」が起こる典型的なパターンがあるのだ。
それは常に、ビザと英語能力に由来する。
ジャパレス
海外において日本食レストランは典型的な低賃金の職場だ。
過去記事「英語を話せないのには理由がある」シリーズ①~⑥において、日本人が英語カーストの最底辺に位置する理由を考察した。
英語に難のあるワーホリの日本人にとって、オーストラリア・ローカルの職を得るのは困難を極めるから、働く場所はジャパレス等に限られてくる。
その結果、
労働力の 供給 > 需要 が起こり、法定最低賃金以下しか支払わないジャパレスが跋扈するようになる。
会社が就労ビザをサポートする場合
オーストラリアに魅せられ、永住ビザ取得を目指す人はゴマンといる。
永住ビザを取得する方法の一つとして、企業にビザのスポンサーになって貰うやり方がある。
スポンサー企業は、ある一定額以上の給料を支払わなければならないと法律で決まっている。
この場合も、
永住ビザが欲しい人の数 > わざわざスポンサーになる会社の数
であるから、つまりそれは
労働力の 供給 > 需要
ということであり、企業優位だ。
私は聞いたことがある。
「ある一定額以上の給料」を支払った証拠を作るために、会社はひとまずその額の給料を従業員に振り込むが、受け取った従業員は給料の一部を返金しなければならない―そんな裏契約があるということを。
従業員は喉から手が出るほど永住ビザが欲しいから、その前段階として企業からのスポンサーは必須だ。
だから従業員は振り込まれた給料を素直に返金するのである。
日本における労働力の需要と供給
ここまで、従業員が不利な条件を飲まされるときはほぼ必ず
労働力の 供給 > 需要
の関係があることを確認した。
日本でサービス残業が常態化するに至るには、
労働力の 供給 > 需要
という関係がある(あった)はずだ。
ここで過去の人口ピラミッドを見てみよう。
(内閣府のサイトから)
この図から分かるように、戦後、人口爆発が起こっている。
これはどの国でも見られることだが、特に日本で顕著である。
(だから今、非生産年齢人口 > 生産年齢人口 という重しになっている。)
このとき労働力は、後から後から湧いてくる状態だった。
つまり、労働力は掃いて捨てるほどあった。
しかし一方で、日本は高度経済成長期へと進んでいくから、必ずしも
労働力の 供給 > 需要
だったかどうかは分からない。
ここで過去の失業率を見てみる。
(立命館大学のサイトから)
過去の失業率は1990年代半ばまで低水準で推移していたから、労働力の需給バランスは悪くなかったのかもしれない。
新卒一括採用
さてここで日本的雇用慣行に目を向けてみる。
冒頭の旧ソ連加盟国出身者との会話に見られるように、新卒一括採用は日本特有だ。
Wikipediaの説明によると
「戦後の復興期の人手不足によって大企業が高卒者を大量に採用したことから確立され、21世紀現在の日本では一般的な雇用慣行である」
とのことである。
要は、大量にさばくべき労働力の受給を、効率良くマッチングさせるためのシステムということだ。
(過去の人口ピラミッドと失業率を参照したことはこのことを認識するのに役立つ。)
新卒一括採用は、また別の日本的雇用側面を生み出す。
それは「同期」だ。
日本の「同期」という概念は外国人には理解しがたいという話を何かで読んだことがある。
ところで想像してみて欲しい。
同じ時期に複数名が配属される職場というものを。
これは、分かり易い比較対象がいるということだ。
「同期がライバルだなんて考えたこともない」という人もいるかもしれない。
しかし、である。
ほとんどの仕事において、時間の投入が最も大きな差異を生み出す。
隣の部署(係)で同期が毎日2時間(サービス)残業したら、あなたは毎日のうのうと定時に帰っていいものだろうか?
そんなことを続けていると、あなたは周囲から「使えないやつ」の烙印を押されるかもしれない。
「うちの部署の新人は典型的なゆとり世代」だとか、また別の世代だったら「新人類」だとか、その他ありとあらゆる用語で周りから揶揄されることになるだろう。
終身雇用
過去の人口ピラミッドから分かるように、軍隊式教育による統率しやすい労働者(そしてそれなりに優秀)が幾らでも供給される状況においては、転職は相対的に難しくなる。
「新卒優位・中途劣位」が起こるのだ。
そういった状況では一つの会社に留まるのが最も無難な世渡り術である。
労働者が転職を避けるから終身雇用になったのか、新卒一括採用があまりにシステマティックだから終身雇用制ができたのか。
ともかく、終身雇用制の会社員生活において、「使えない奴、非常識な奴」等、一度貼られたレッテルは生涯つきまとう。
前述した通り、時間の投入は「能力の低い人」を「そこそこの人」に、「元々能力の高い人」をさらに「できる人」へと押し上げる。
そういった前提条件において、(サービス)残業もせず定時に帰ることはリスクでしかない。
(サービス)残業した人は(サービス)残業する人がお好き
驚くべくことに、私自身、このオーストラリアにおいて毎日一時間以上、サービス残業している!
(残業しようがしまいが給料は同じだから 残業=サービス残業 なのである。)
それはやはり、時間を投入すれば単純に成果が上がるからである。
(ところでオーストラリアにおける残業については、過去記事「残業時間の落としどころ in オーストラリア」参照のこと。)
残業すると成果が上がるということは、たくさん残業する人は、他の人の評価をする立場になる確率が高いということを意味する。
人間、自分がやってきたことを好しとするから、長時間労働をする人を高く評価することになる。
そしてその傾向は綿々と受け継がれていくのである。
ヨーロッパ支社で働くヨーロッパ人から実際に聞いたことがある。
その支店(というかその国一般)では、残業は一切禁止であると。
というのも、上司は残業した人を高く評価せざるを得ないから、評価を公正にするために全員の労働時間を一定にしなければならないからだと。
ヨーロッパのとある国において、残業はズル、またはインチキ行為として見なされているのだ!
(ところでオーストラリアでも、他の国でも、一生懸命働くことは美徳だ。「休憩も取らずに働いた」みたいな自慢?をオーストラリアでもしばしば耳にする。いろんな国の出身者がそんな自慢をするのを聞いたことがあるから、一生懸命長時間働くことはどの国でも美徳なのだ。)
サービス残業の起源
以上をまとめると、サービス残業を含め長時間労働は
- 戦後の極端な人口増加を背景に
- 大量にある労働力の需給問題を
- 新卒一括採用という革新的?なマッチングシステムでさばいた結果、
- 分かり易い比較対象(ライバル)を生み出し
- それなりに優秀で洗脳しやすい新たな労働力が掃いて捨てるほど供給される状況においては転職が難しく
- 一つの会社に留まるのが最も無難な世渡り術であって
- 労働者が転職を避けるからか、もしくは新卒一括採用が効率的過ぎるからか、ともかく終身雇用制が確立し
- ほとんどの仕事において、時間の投入こそが成果を上げる最も簡単なやり方であるから
- 皆がこぞって(サービス)残業するようになった
- 終身雇用制では、それをやらないのはリスクでしかないから
こういった一連の流れが「サービス残業」という世界でも類を見ない摩訶不思議な契約外労働を生み出したのだ!