シドニーの温暖な気候は屋外で食事をするのに向いている。
シドニーで働いていたとき、しばしば私は、弁当を持って外に出たものだ。
小春日和の気持ちのいい日だった。
職場近くの小さな公園にはジャカランダの紫色の花が咲き乱れ、テーブルに木陰を作っていた。
そんな幻想的な景色を私一人で独占できるわけがない。
そのテーブルには近隣の会社からやって来た人たち数名が同席していた。
私は難解な金融理論が書かれた本を開き、弁当を食べながら、同席者たちの会話を聞くともなく聞いていた。
彼らは投資について話しているようだった。
見知らぬおばさん「株価って毎日上がったり下がったりするでしょ? 私それ見るの嫌になっちゃった。それでね、これからは不動産投資することに決めたのよ」
周りの人「それはいいアイデアだねー」
ここにもおかしなこと言っちゃってる人がいる! 横で聞きながら私はそう思ったものだ。
そのときの私の考えはこうだった。
オークションで不動産売買する場合、当日、蓋を開けるまで誰にもその結果は分からない。
940,000ドルで決着するかもしれないし、もう一声あがって950,000ドルになるかもしれない。そこから火が着いて1,000,000ドルまで行くかもしれない。
その日の参加者や雰囲気次第で値段は幾らでも変わる――だからこそオークションをやるのだ――ということは誰もが同意するだろう。
しかしながらその物件の本来の価値は同じはずである。
単に日々の値動きが見えないだけで、不動産だってボラティリティは高いのだ!
株だろうが不動産だろうが価格の上がり下がりがあることに違いはない…
こんな天然な連中に負けてたまるか!
私は彼らの会話を耳から遮断し、小難しい金融理論の本に集中しようとした。
そのときである。
突風が吹いてその分厚い本を吹き飛ばしたのだ。
シドニーはwindyな日が多いが、その風は少し奇妙だった。
気のせいだろうか。周りのジャカランダの花は揺れなかったような…
飛ばされた本を追い、私は席を離れた。
そして本を拾い上げてテーブルの方を振り返ると、そこにはもう誰もいなかったのである。
昼休みが終わるから急いで帰ったのか?
それにしては早業すぎる。
だとしたら、あれは幻だったのか?
投資に向いてる人 ― Fidelityの調査
Fidelityが顧客の投資成績を調べて判明した興味深い知見がある。(2003年~2013年、株や投資信託などについてと思われる。)
投資の成績が良かった人の属性1位は「すでに死んでいる人」で、2位は「運用しているのを忘れている人」だ。
この結果は示唆に富む。
つまりこれは、「余計な売買をするな」、「値動きを見て一喜一憂するな」ということを意味している。
株式投資やFXをやったことがある人なら分かると思うが、これらは簡単なようでいて、いざ実践するとなると難しいものだ。
逆に言うと、それらのことを自動的に実践できる投資なら、素人でも勝てる可能性は高いのである。
不動産の特性
株と比較した不動産の特性は次の二つだろう。
①日々の値動きが見えない
②流動性が低い
①については前述した通りだ。
私もQLD州に投資物件を持っているが、それが今幾らなのか知らない。
ブリスベン郊外は今年上がるだろうとか、いやそんなに上がらないとかの情報を耳にするくらいだ。
だから「値動きを見て一喜一憂」せずに済む。
②についても誰もが知るところだ。
株ならクリック一つで売買できてしまうが不動産ではそうはいかない。様々な面倒臭い手続きが必要になる。
ところで自宅購入も不動産投資に含まれる。(本人の意図にかかわらず)
家族で満足して住んでいる自宅を、その地域の不動産価格が上がっているらしいと聞いて今すぐ売ろうとする人は少ないだろう。
その家から通学や通勤しているし、売ってみるまで実際幾らで売れるか分からないからだ。
通常、流動性の低さは不動産投資の欠点として挙げられる。
しかしそれこそが、Fidelityの知見を投資家に実践させているのである。
かくして私の頑ななハートは解きほぐされた
私はオーストラリアに移住してから、何人もの不動産長者に会った。
金融リテラシーは最低レベルだが勢いに任せて家を買ったら10年後、その価値が倍増したというパターンの人たちだ。(勝手に決めつけているが)
こんな天然な連中に負けてたまるか! と理論武装に躍起になっていた私に大切な真理を伝えるために、あのおばさんは神が遣わした預言者だったのかもしれない。
あの日以来、凝り固まっていた私のハートは解きほぐされ、不動産カルト信者への嘲笑は親しみへと変わった。そしてついには自分でも不動産投資を始めるに至ったのである。
注)この話は事実を脚色したフィクションです。私は「難解な金融理論」など読んでいませんでしたし、おばさんたちが急にいなくなったりもしませんでした。