正直すぎる不動産屋
オーストラリアのアパートメントは、中身の機能性はさておき、デザインが洒落ている。
日本のように直方体がズドーンと建っているわけではない。
コスト高になってもデザインに凝った方が売れるのだろうか。
その辺の事情は分からないが、少なくとも日本より余裕を感じる。
少し前、メルボルン郊外で自分たちが住むための賃貸物件を探していたとき、私と妻は、とある新築アパートメントが気に入った。
気に入ったというより、建築段階から気になっていて、完成したらそこに引っ越したいと思っていたのだった。
完成し、いざ内覧してみると一つ明確な問題があった。
キッチンのシンクが小さすぎるのだ。
これでは大きな鍋やフライパンは洗えない。
設計者はいったい何を考えているのか。
低スキルな不動産屋
「このシンク、小さすぎないですか?」
敢えて確認するまでもないことを、妻は率直に不動産エージェントに問うた。
「ビルトインのおしゃれな食洗器があるから大丈夫。今どきシンクで手洗いする人なんていない」
私は当然、相手がそのように切り返してくると予想し、身構えた。
ところが。
彼女(不動産エージェント)は否定するどころかそれに乗っかって来たのだ。
「そうなのよ。小さすぎるのよ。それでもってその食洗器ってパワー不足でちゃんと洗えない。私の家にも同じタイプのがあるけど、使わないで手で洗ってる」
私はあっけにとられた。
自分が貸し出そうとしている物件の欠点を忌々し気に語るのである。
私は日本でこれほど低スキルな営業担当者を見たことがない。
決めかねている顧客に適切なソリューションを提案して後押しするのが彼女の仕事ではないか。
彼女はそれなりのベテランだった。
名刺には立派な肩書があった。
にもかかわらずこの率直すぎる対応。
これをどう解釈すればいいだろうか?
労働生産性が高い状態
おそらく彼女のマインドはこうだ。
空室率2%のメルボルン賃貸市場において、彼女は今まで、空き物件を埋められずに困ったことがほとんどない。
遅かれ早かれ、物件は全て埋まる。
仮に長期間空きができたとしても、それはそんな物件を買った大家がアホなのであって、自分の責任でも何でもない。
自分の仕事は、単に機械的に客に内覧させること。
(こういうマインドの人がオーストラリアには多い。)
しかしこれこそが、「労働生産性が高い」状態なのだ。
これまでの記事で繰り返してきたが、労働生産性を決めるのは、個人レベルのスキルや効率化や努力ではなく、需要なのである。
空室率2%という驚異の数値を実現させているのは言うまでもなく移民政策による人口調整だ。
旺盛な需要のもとでは、人は妙な駆け引きなどせずに正直でいられる。
これが、オーストラリアが低ストレス社会を維持できる一因なのである。