日本人はグローバルマインドに欠けるというのは本当か?
私が日本で勤めていた会社は輸出企業だったこともあり、ご多分に漏れず
グローバルマインドがぁ!
を連呼していた。
にもかかわらず、その概念についての説明はなかった。
我々は標語のようにそれを唱え(させられ)ていた。
そこでは、「グローバルマインド」は「英語を使うこと」とほぼ同義だった。
欧米人優位(日本人劣位)説
もし グローバルマインド=英語 なのだとしたら、オージーは皆、グローバルマインドがすごいことになる。
ネットの記事なんかでグローバルマインドなるものに関して、いつも欧米人優位(日本人劣位)のように書かれるのはそういった所以だろう。
だがそんなことは直感に反する。事実にも反するだろう。
だとしたら、グローバルマインドとは一体何だろう。
そこで前回の続きである。
不動産投資家たちはグローバルマインドを持っていたか?
2017年当時、オーストラリアの不動産市場にとって向かい風となるイベントが幾つも予定されていた。
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世界的な金融緩和の終了
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中国国外への資金持ち出し規制
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オーストラリアにおける海外バイヤーに対する印紙税増税
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オーストラリアにおける住宅ローン貸し付け厳格化
特に着目すべきは上二つだろう。
実のところオーストラリアのみならず、世界中の国際都市でバブル的な不動産高騰が起こり、まさに終焉を迎えようとしていた。
世界中でじゃぶじゃぶだった投資マネーの巻き返し
が起こりつつあったのである。
オーストラリアだけがそれを回避できる理由などないはずだ。
前回までに紹介した、ピークで売り抜けた人々の裏には同時に高値掴みした買い手がいる。
ローカル市場が過去に上がり続けたことのみを根拠にした買いだ。
彼らがいわゆるグローバルマインドを持っていたと言えるだろうか。
その視線はローカルなイベント(新しい駅ができる、人口が増える、とか)にしか向けられていなかったのではないだろうか。
だから仮に、グローバルマインドなるものを定義するならば、「ローカルな出来事の背後にあるより大きな潮流を意識すること」となる。