Austらぼ

オーストラリアを知り、移住・留学を成功させるためのブログ

永住ビザをドブに捨てた過去③ ビザ復活

永住ビザが失効する日を私は普段通り過ごした。

次にやることはすでに決めていた。

もう一度、Skilled Independent Visaを取り直そうと思っていたのである。

間もなく、「めんどくさ」と思いながら私はIELTSの準備をやり始めた。

 

ここで話は急展開する。

経緯は省略するが、私は日本の会社を去ることに決めた。

とある出来事を契機に、そこでの責任を果たしたと確信したからである。

「オーストラリアに移住する」と宣言して辞表を叩きつけたものの、実はその時点でビザを取れる保証はなかった。

だからもし失敗していたら、「オーストラリアに移住すると言って辞めたのにオーストラリアに行けなかった痛い人」になっていただろう。

 

Resident Return Visa

Skilled Independent Visaを取り直す準備をしていたとき、オーストラリア政府のサイトで重大な記述を発見した。

「過去5年中2年以上の居住を満たせなかった場合でも、Resident Return Visa(一種の永住ビザ)が発行される場合がある」というものだ。

その条件とは?

「オーストラリアとビジネス上のつながりがあることを示せ」

 

ビジネス上のつながり

これはどういう場合を想定しているのだろうか?

最もありそうなのは、

  • 元々オーストラリア企業で働いていたが、海外転勤になり3年以上戻らなかった。
  • 元々オーストラリアでビジネスをやっていたが、何らかの事情があって母国に帰った。ビジネスの経営は他の人に任せている。

等である。

 

一方、私が主張できそうな「ビジネス上のつながり」は、

  • 日本の企業で働いているが、自分が開発した製品はオーストラリアでも売られている。
  • オーストラリア事務所のマネジャーにマーケティング用の情報を提供していた。
  • 私の名前でオーストラリアで特許申請している。

等であった。どうだろう? 苦しいこじつけだろうか?

 

合否は審査官の裁量次第

この際のResident Return Visaの合否は審査官の裁量で決まる。

証拠資料と作文によって審査官を説得しなければならない。

 

またも正月休みを使って私は作文を書いた。(退職届は出していたがまだ会社に所属していた。)

以前より英作文の技術は上がっていたが、念には念を入れて、オンライン英会話のフィリピン人講師に添削してもらった。

そして関連書類を集めてビザを申請した。

丁か半か?

賽は投げられた。

 

日本国が求める移民

ところで日本国が求める移民として、高度人材という大袈裟な言葉がある。

オーストラリアを参考にしたのだろう、これもポイント制である。

ただし、もっと選り好みが激しい。

70点が合格点なのだが、特許を一件持っていると15~20点も加算される。

(特許にもピンキリがあって、苦し紛れな特許や申請して後で取り下げる場合もある。)

仮にそういった人物に需要があるのなら、オーストラリアは私にビザを与えるべきだ。

頼むよオーストラリアさん、しばらく疎遠にしてたけど、これからはもっとつながろうよ!

 

かくして私は永住ビザを復活せしめた

一週間後、結果のメールが来た。

Visa Grant

私はホッと胸を撫でおろした。

ビザのない状態で辞表を叩きつけ、二週間ほどでビザをゲットしたことになる。

 

ところがまたもや、すぐには移住しなかった。

与えられたResident Return Visaの入国有効期限(一年間)ギリギリ、海外旅行しまくったのである。

そしてもう当分旅行はしたくないとお腹一杯になってから、シドニーに移住して来た。

前にシドニーを去ってからちょうど10年経っていた。

 

永住ビザをドブに捨てた過去② ビザ失効

技術査定の結果およびその他の必要書類をもってSkilled Independent Visaの申請を行い、数か月待つとVisa Grantとなった。

(ここは盛り上がるべきところなのだが敢えて流そう。)

 

Initial Entry

次にやることはInitial Entryである。

所定の期間内に一度オーストラリア入りしないと「移住するつもりなし」とみなされて永住ビザを失効する。

 

「永住ビザをドブに捨てた」というタイトルだから、Initial Entryをやらなかったというオチだと思われたかもしれない。が、普通にちゃんとやったのである。

このときはゴールドコーストとブリスベンを旅行した。

当たり前だが、「旅行ビザ」は取らずに来たから本当に入国できるのかドキドキものだったが、ちゃんと入れた。

私の永住ビザは有効だったのである。

これにて全ての要件を満たした。めでたしめでたし…とはならない。

 

残酷な価値観

次の問題は、具体的にいつ移住を決行するかということだ。

元々、永住ビザを取ったらすぐに行くということは考えていなかった。

頃合いを見つけ、準備万端で移住しようと思っていたのだ。

猶予はVisa Grantの日から5年もある。そう、5年も。(そろそろオチが見えてきた?)

 

さて、私は日本の企業で研究開発職に就いていた。

その業界において、製品開発のサイクルは2~3年だ。

初めの2年ほどは完全に私の仕事であり、終わりの1年ほどで製品は徐々に私の手から離れる。

だったら「製品が手を離れた時点」が最適の辞め時だと思われるかもしれない。

しかしそうはならない。

製品Aに手がかからなくなってきたら、新たに製品Bに着手しなければならない。

Bがいいところまで行ったら新たにC…という無限ループなのである。

また、新たなプロジェクトというのは降って湧いてくるわけではなく、私自身が探索することによって生み出していたのだ。

 

奇妙に聞こえるかもしれない。

私は辞め時を探りながらも、それと同時にせっせと新たなプロジェクトを創り出していた。

そしていったんやり始めたからには、「辞めてオーストラリアに行きます」などとは言い出せない。

それなら新しいプロジェクトなんて提案しなければいいじゃん? と思われるだろう。

しかし、いずれ辞めるからといって手を抜くつもりのなかった私にはそれができなかった。

なぜか?

その組織の暗黙の了解では、プロジェクトを生み出せないことは「無能」を意味していたからだ。

 

英語のハンディキャップを埋めるもの

一方、現在働いているオーストラリア企業ではどうだろう?

どうやらそういった残酷な価値観は存在しないようである。

「会社が指示して来る前に先手を打って稼ぐネタを提供できなければ無能」というヤバい?マインドを持った人間は今までいなかっただろうから、私は明らかに異質な存在である。

その日本企業が長年かけて私に施した洗脳はなかなか解けないようだ。

 

そこで働いていた頃、社員研修などがあると、「こういうのは一種の洗脳だ。自分はそんなのに影響されない」と言っていた同僚がいたが、私は内心、「お前はもう洗脳されている」と思っていた。(ケンシロウ風に)

 

それでさて、日本企業によって植え付けられたヤバいマインドは現在の私の仕事にどのように影響しているだろうか?

実のところ大いに役立っているのである。

それは英語のハンディキャップを補って余りある。

 

かくして私は永住ビザをドブに捨てた

ところでSkilled Independent Visaは無条件の永住ビザではない。

更新するために、「過去5年の間に2年以上、オーストラリアに居住」していなければならない。

私はこれを満たすことができなかった。ずっと日本にいたから。

 

このようにして、私はせっかく取った永住ビザをドブに捨てたのである。

しかしこの話はまだ続く。

現在私がオーストラリアにいる理由を説明していないから。

 

永住ビザをドブに捨てた過去①

リタイア後に移住したい国ランキングにおいて、最近ではマレーシアが上位になっているのをよく見かける。

かつてランキング上位の常連はオーストラリアではなかったか?

日本から年金を受け取り、オーストラリアで暮らす――そんなことが可能だった時代がある。

 

きっとランキングにも「実現可能性」がちゃんと反映されているのだろう。

オーストラリアの永住ビザ取得は年々難しくなっているし、そもそも物価が日本と逆転してしまった。

 

クロワッサン買える人なら投資ビザ取れるかも 

十数年前、投資ビザは4-5千万円分くらいの投資で取得でき、「現実的」と思った記憶がある。(間違ってるかも。間違っていたらすいません。)

それが今では5ミリオン必要だ。

一体どんな人を対象にしているのだろうか?

メルボルンのLune Croissanterieと同じくらい、私には手が出ない。(クロワッサン一個が5.9ドル)

 

2004年のタウンホール

私は2004年に一年間、シドニーでの生活を満喫した。

その当時、Town Hall付近には日本人がいっぱいいた。

日本人、韓国人、中国系で、天下三分の計をやっていたという印象だ。

しかし記憶というのは容易に歪曲される。

だから多分、実際のところは「今より日本人の割合が多かった」程度だろう。

 

私の周りにいた日本人たちは、オーストラリアに「一時のバカンス」や「スローライフ」を楽しみに来ているようだった。

私自身は英会話の習得に必死だったが、そんなのは苦労のうちに入らなくて、やはり「一時のバカンス」の範疇に含まれていた。

 

一方、韓国人はハングリーな人が多かった。

稼ぐのに必死だったし、永住ビザを狙っていた。

その当時の日本人仲間の会話では、永住ビザという単語は一言も出てこなかったと思う。(誰もその知識がなかった。)

 

このことは日・豪・韓の経済力の差を如実に示している。

一人当たりGDPで、日本は2000年には世界二位だった。(そこをピークに急落している。)

実際、私はシドニーで、単発のバイト数回以外は働いていない。

生活費は貯金から賄われていた。

 

技術独立ビザ

帰国後数年経って、ふと永住ビザについて調べてみた。

オーストラリアの永住権を取ろうと試みる人は、滞在中に何かしら素晴らしい体験をした人なんだと思う。

私の場合、それはシェアハウスの住人や無料語学学校の生徒たちとの交流だ。

過去記事「I haven’t a car. は正しいか?」

ホームステイはダメダメだったが。

過去記事「ホームステイは私の黒歴史」

 

それで永住ビザについて調べてみたところ、どうやら私はSkilled Independent Visaのポイントを満たしているようだった。

永らくこのIndependentの意味がよく分からなかったが、再びオーストラリアにやって来て理解した。すなわちIndependent Visaとは、Sponsored Visaに対する語句だったのだ。

Skilled Independent Visaは、スポンサーしてくれる会社・組織に依存しなくて良く、その上、例えばITエンジニアとしてビザを取っても、別にその種の職に就く必要さえないという極めて自由度の高いビザである。

 

エージェントは不要

2006~2007年当時、Skilled Independent Visaには、現在のようなInvitationなる制度はなかった。

所定のポイントさえ超えていれば、確実にビザを取得できた。

ビザ取得の大まかな流れはこうだ。

 

  • 関連ある認定機関に技術査定してもらう。私の場合、Engineers Australia
  • 査定には、「技術者として関わった3つのプロジェクト」を説明する作文が必要
  • また、IELTSの結果が必要
  • 技術査定の結果および、その他書類をオーストラリア政府に提出する
  • 先のIELTSの結果はここで再利用できる
  • 書類に不備がなければVisa Granted

 

私はこれらを独力で行った。ビザ申請代行会社に頼むと60~80万円必要だったから。

今ほど情報はなかったが、それでも先人たちはいた。

彼らのブログを参考にし、またオーストラリア政府のサイトを読み込んだ。

これによって一時、永住ビザに詳しくなったから、自分自身がビザ申請代行業者になろうかなと思ったことがある。

だが結局のところ、ビザの合否を決めるのは当人の学歴や職歴、IELTSの点数だ。

IELTSの基準を満たせる人なら私と同様にオーストラリア政府のサイトを読み、所定の手続きを踏むだけなんだからそんな商売は成り立たない――このときはそう思った。

 

ところが再びオーストラリアにやって来て、エージェントを使ってビザを申請しようとしているイギリス人に出会った。

英語ネイティブでも自分でビザ申請できないんだ! と軽い衝撃を受けたものである。

これは例えば日本人が、日本の市役所のサイトを読み、必要な書類を集め、市役所に提出するようなものだからである。

だが間もなく、そういうものかもねと納得した。いや納得することにした。(世の中にこの種のサービスがいかに多いことか!)

 

技術認定

それである年、会社の正月休みを丸々費やして、「技術者として関わった3つのプロジェクト」についての作文を書いた。

当時から、誰が読んでも誤解しないような英文を書く自信があったが、今思うとあれは稚拙だった。今ならもっと短時間でより洗練された作文が書けるだろう。

だからもし過去の自分にアドバイスできるとしたら、「自分より英語ができてかつ信頼できる人に添削してもらえ」と伝える。

幸い、私の拙い英作文でも技術者認定はされたが。

続く…

 

Amazon.com.auで物販してウンザリしたこと

オーストラリアでは、日本と違って物事はスムーズに進まない。

ビジネスをしようものならなおさらだ。

オーストラリアのAmazonで3か月間、物販をして経験した様々なストレスを紹介する。

 

関係者たち

Amazon.com.auでの物販では、以下の会社・人物たちと関わることになる。

①卸売業者

②配送業者のサイト

③Newsagency

④配送業者と提携している自営業ドライバー

⑤購入者

⑥Amazon Australia

 

これらの関係者たちは悪意なく、いや悪意をもって少しずつあなたの精神を蝕んでいく。

 

①卸売業者

卸売業者のスタッフが商品を足蹴にしていた(靴底を載せていた)のを見たことがある。

足を掛ける場所は他に幾らでもある。なぜわざわざ売り物の上に足を置かなければならないのだろうか?

箱がきれいそうな商品を私が吟味していると、「箱なんてどうでもいいだろ?」と言ってきた。

この人たちは自分がネットで発注して送られて来た商品の箱が汚れていたり歪んでいても何とも思わないのだろうか?(きっと低評価をつけてくるはずだ。)

 

②配送業者のサイト

FBA用に、メルボルン郊外にあるAmazon倉庫に送ったときのことだ。

そこは車で1時間もかからない場所にある。

数日経っても荷物が届かないので追跡してみたら、「配送したが、不在連絡票を置いてきた」となっている。

配送した時間は平日の昼間になっている。

意味が分からない。

Amazonの倉庫には何人ものスタッフが働いているはずである。

ともかく、配送業者のサイトで再配達を自分で予約した。

ところが一週間経っても配達されない。

私は配送業者に毎日のように問い合わせた。

不毛なやりとりの後、判明したことは、ある時期からAmazonの倉庫に配送するには事前予約が必要になったということだ。

だからと言って何の言い訳にもならない。

配送業者は新たなルールに従い、事前予約してから配送すればいいだけのことである。

オーストラリアではほんの少しでも定型から外れる業務が発生すると、途端に物事は進まなくなる(と私は確信している)。

日本人はマニュアル的な対応しかできない…というような批判を日本人自身が言っているのをよく聞くが、そんなことは全然ない。

稀にオーストラリアで日本と同じような責任ある対応を受けると感激してしまう。日本にいたときは当たり前すぎて意識していなかったが。

 

さて、一か月近く要して配送はようやく完了した…配送業者の主張では。

しかしこれを書いている時点ではまだAmazon側にそれが反映されていない。

まったく安心できない。

 

③Newsagency

配送業者のサイトで予約したら、小包・箱に宛先とバーコードを貼り、Newsagencyに持って行く。その後、配送業者と提携している配送ドライバーが取りに来る。

配送物の追跡は各経由地でバーコードがスキャンされることによって可能になる。

Newsagencyはあちこちにあるが、オヤジたち(店員)の挙動はいつも疑わしい。

端末の操作が覚束なかったり、カウンターの中が荷物で散らかっていて、「本当にちゃんと配達されるのか?」と不安になる。

 

あるとき配送物を出すと、Newsagencyのオヤジは受け取るなりカウンターの裏に置いた。

私「ちょっと、スキャンしてよ!」

オヤジ「え? スキャンするのか?」

私「しないと受領記録が残らないだろうがよ!(こんな乱暴な言い方はしていないが)」

私の指導によって彼は一つ新しいことを学んだ。

 

毎日のように同じNewsagencyで出荷していると、そこのオヤジたちから好奇の目で見られる。

オヤジ「これは商売でやっているのか?」

私「まあ」

オヤジ「何を売っているんだ?」

私「売れるものなら何でも」

オヤジ「何でもってつまり何だ?」

私「それは時と場合によるから…」(無在庫販売だと教えるつもりはない。)

日本のコンビニで、こんなウザいやり取りを想像できるだろうか?

また、毎日のように出荷していると、オヤジたちは面倒臭そうな顔をする。

「やる気がないなら帰れ!」

昔、学校の先生に言われたセリフを私は叫びたくなる。

 

④配送業者と提携している自営業ドライバー

配送物を家に取りに来てもらったこともある。

妻が家にいる予定だったからだ。

我々はアパートメントに住んでいるから、インターホンでやり取りしてからエントランスまで降りて行くのに一、二分はかかる。

妻が配送物を持って下まで行くと、もうドライバーは出発していた。

荷物を取りに来たくせに、受け取らないで立ち去ろうとするのだ。

意味が分からない。

妻は走って追いかけ、どうにか配送物を受け取ってもらった。

オーストラリアでは、客は神様でも何でもなく、むしろ格下の扱いを受けるのである。

 

⑤購入者

オーストラリアでは基本、「置き配」だ。そこここで荷物が放置されているのをよく見かける。

Australia Postにおいて、初期設定は「置き配」で、「受け渡し時にサインをもらう」ためには追加料金が必要になる。

「サインをもらう」設定にすると、配達ドライバーは購入者が不在の場合、不在連絡票を置いて行く。

これは日本と同じ仕組みだ。

 

私が利用している配送業者のサイトでは「サインをもらう」を無料で指定できる。

だから初めの頃、私は「サインをもらう」を指定していた。

すると何が起こったか?

多くの購入者が再配達を手配しないで、「商品はいつ届くのか?」と私に聞いてくるのである。(Amazonのシステムを通して)

「10日前に届いとるわ! ボケ!」(追跡できる。)

そう答えたいのはヤマヤマだが、そんな訳にもいかず

「不在連絡票を見て再配達を手配して下さい」

等々、面倒なやり取りをしなければならないのである。

すると、「不在連絡票なんてなかった!」と主張する購入者のなんと多いことか。

本当だろうか?

配送ドライバーもたいがいあてにならないが、この場合、私は購入者を疑わずにいられない。

どうせ他のチラシや封筒と一緒に捨てちゃったんじゃないの? そう思わずにいられないのである。

 

そもそも出荷した時点で、私の仕事は終わりのはずだ。

出荷すると購入者にはAmazonからメールが届き、そこに追跡番号も載っている。

購入者は追跡番号を使って商品がどこにあるのか自分で確認すべきだ。

 

この手のボンクラな購入者があまりに多いから(勝手に決めつけているが)、ある時期から「置き配」を選ぶようになった。

すると商品の配送完了が圧倒的に早まった。(繰り返すが、追跡できる。)

めでたしめでたし…とはしかし、ならなかったのである。

 

案の定、「商品が届かない」と言う購入者が現れた。

しかし追跡すると、商品は10日くらい前に配送済みになってある。

配送ドライバーからのメッセージ欄には、「ゴミ箱の裏」と書かれてある。

「ゴミ箱の裏を探してみて下さい」

私は購入者に促したが、何もないと言う…。

まあ、ないだろう。だって10日も前にそこに置かれたんだから。

 

この件はこじれにこじれたが、結局Amazonの裁定によって、私から購入者に返金ということになった。(問答無用で口座から差し引かれる。)

Amazonから要求される通り、私は幾つか証拠を提出したが、覆らなかった。証拠に求められる基準を全て満たしていたにもかかわらず。

 

この商品は190ドルで仕入れ、10ドルの配送料がかかったものだ。Amazonのプラットフォーム料を含めると230ドルほど失ったことになる。

…ということで、私は再び「要サイン」に戻らざるを得なくなった。

 

⑥Amazon Australia

上記のように、AmazonはSellerにやたらと厳しい。

がしかし、自分自身には甘いのである。

 

あるとき、とある購入者が私のショップに低評価をつけて来た。

「配送が約束よりも遅かった」とのことである。

調べてみると、その商品はAmazon FBAから発送されていた。

低評価をつけるなら、私のショップではなく、Amazonにつけるべきである。

私はこのアホなコメントにウンザリした。

 

それはさておき、実際オーストラリアのAmazonで買い物してみると、Amazonが出荷するのはそんなに早くない。

注文してから二、三日後だったりする。

いったいその間、何をやっているのだろう?

私は無在庫販売なのに、試験的に副業でやっているだけなのに、注文から24時間以内に出荷可能だ。(その結果届くのが早すぎて、購入者は不在連絡票に注意を払っていないのかもしれない。)

 

低評価をつけられて、私はどう対応するか迷った。

購入者本人に抗議すべきだろうか。

わざわざ私からのメールを読んで、自らの愚行を認め、律儀に評価を取り下げたりするだろうか?

 

迷った挙句、私はAmazonに「発送したのはAmazonなんだから私のショップに低評価がつくのは納得できない。その評価を削除してくれ」と頼んだ。

AmazonはSellerを低く見ているから「どうせ無視されるだろう」と私は全然期待していなかった。

オーストラリアでは問い合わせは大抵無視される。

「○○の購入を検討しているから詳しい資料を送って欲しい」といった、相手が得する問い合わせでさえ無視される。

 

ところが。

このときのAmazonの対応は迅速だった。

ものの数十分で低評価は削除されたのである。

Amazonは、自分自身の発送が遅かったと認めたのか、それとも購入者が嘘をついていると判断したのか、いずれにせよ即座にその低評価を削除してくれたのだった。

 

日本の配送業者は優秀

FBAで自動的にチャリンチャリン――半ば不労所得のようなものを妄想していたが、期待に反して幾つものストレスフルな経験をした。

私は日本にいるとき、配送を含めネットショッピングを完全に信頼していた。

Amazonの日本での成功には、優秀な配送業者たちの寄与するところが大きいだろう。(人口密度が高いというのもあるが。)

今になって彼らの努力に頭が下がる思いである。

 

Amazon.com.au で3か月間 物販してみた結果

日本人のAmazon依存度は極めて高い。

一方、オーストラリアではそれほどでもない。

というのもAmazonがオーストラリアに来たのは2017年12月で、まだ2年しか経っていないからだ。

今のところサイト訪問者数はeBayの方が断然上らしいが、アメリカや日本で起こっていること――どんどん増していくAmazonの存在感――はオーストラリアでも起こるはずだ。

ということで物は試し、Amazon.com.auにおいて商品を販売してみた。

 

売り上げ推移

以下にAmazon.com.auにおける二週間毎の販売推移を示す。

縦軸はオーストラリアドル。 

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無在庫販売

私が販売を開始したのは2019年10月5日~19日の間で、当然ながらその期間は売り上げが少ない。

私はまず、無在庫販売という手法を取った。

近所の卸売業者の商品をAmazon.com.auにリスティングし、(というか、すでに誰かが売っている商品に乗っかってそれより安値を付けた)注文が入ったら卸売業者へ買いに走るというやり方だ。

Amazonでは商品ランキングが見られるが、「どのカテゴリーで何位くらいだったらどれくらいの頻度で売れるか?」なんて最初は見当がつかない。

だから初心者は当然、在庫リスクゼロの無在庫販売から始めるべきだ。

こんなバカみたいな方法でも、ポツリ、またポツリと注文は入った。

商品を発送するための箱でさえ、注文が入ってからその商品に合う大きさのものをBunningsに買いに走った。

だからこのときの一発送あたりにかかる手間はかなりのものだった。

  

FBA

商品を買い手に発送する方法として、Merchant(売り手)が直接発送する方法と、Fulfillment By Amazon (FBA)という方法がある。

FBAの場合は予め商品をAmazonの倉庫に送っておき、注文が入るとAmazonのスタッフが発送処理をする。

モノにもよるが、大抵の場合、FBAの方が経費は安くなる。

発送処理の手間も減るためFBAは良いことづくめだ。

無在庫販売をしばらく続けていると、継続的に売れていく商品が分かってくる。

そういったものは売れると確信できるから、FBAを利用した方が良い。

というわけで、販売を始めて1か月くらいで一部の商品をFBAに移行した。

 

I want you back!

ジャクソン・ファイヴの歌で、I Want You Back(帰って欲しいの)というのがある。

私は初めて切実にこの気持ちを知った。

Amazonでの販売は、私の妻名義で始めた。

だからこれは彼女のビジネスである。

妻の本業は11月中旬あたりから忙しくなくなるため、休暇として彼女一人で日本に帰ることになっていた。

「せっかくだから3週間くらい行ってくれば?」

妻が航空券を予約するとき、私はそう提案した。このときはまだAmazonでの販売を始めていなかったのだ。

しかし、なめていたが実際やり始めると、オンラインでの物販というのはかなりの労働であることが分かった。

妻が不在中、私は会社帰りに卸売業者に立ち寄り、注文の入った商品を仕入れ、時に箱を買い足し、夜に箱詰めをして翌朝、会社へ行く途中でNewsagency(新聞、雑誌等を売ってる店)に寄って商品を出荷し、週末はFBAの発送準備をする――という作業を一人でこなした。

商品を予めAmazonの倉庫に送るという作業も、慣れていなかったこともあり、かなりの時間を要した。

FBAで自動的にチャリンチャリンと売れていく――不労所得のようなものを妄想していたが、決してそのようなものではなかった。

I want you back!

私は泣きそうになりながら叫んだ。

 

クリスマス商戦

11月30日~12月14日で売り上げが急増しているのは言うまでもなくホリデーシーズンに向けての買い物によるものだ。

欧米では人々はクリスマス前にショッピングに勤しむ――ニュースで見聞きしていたことだが改めてそれを実感した。

物凄い勢いで注文が入ったのである――私の売り上げは大したことないかもしれないが、少なくともオンライン物販初心者の私にはそう感じられた。

妻が戻ったものの、この時期は発送処理にてんやわんやだった。

今思うと、始めたタイミングが良かった。クリスマス商戦を体験できたこと、またその前に練習を積むことができたからである。

 

販売キャンセル

クリスマス商戦中のドタバタで、せっかく入った注文をこちらからキャンセルするという惜しい経験もした。

利幅が100ドル近くある商品に対し、一晩に5個注文が入ったものの、卸売業者に行くと在庫がないと言うのである。

前日は在庫が大量にある風を装っていたじゃないか!

在庫があるうちに爆買いしておけばよかった。

私は泣く泣く注文をキャンセルした。

 

SellerはAmazonからパフォーマンスを評価されている。

販売キャンセルをやり過ぎるとアカウントを閉じられることもある。

このとき一時的に私のSellerとしての評価が急落した。

ヒヤヒヤしたが、時間が経つとそれは解消された。

やがてクリスマスが訪れ、嵐は過ぎ去った。

 

利益

で、肝心の利益は? ここまでそう思いながら読まれたに違いない。

言うまでもないが利益とは

 売り上げ - 経費 = 利益

である。経費の内訳を書くと

 売り上げ - Amazonプラットフォーム料 - 送料 - 箱代 = 利益

となる。Amazonプラットフォーム料はざっくり売り上げの10%程度である。

それで利益は…

正直なところ、本当に計算したことがない。(面倒臭いから)

利益は一年後のTax Returnで明らかになるだろう。

 

…だが概算値ならある。

おそらく売り上げの二割程度だ。

そうすると上記の期間で売り上げの合計は約36,000ドルだから、その20%なら7,200ドルになる。

一年あたりにするとどうなるか?

今回はクリスマス特需が含まれるからそれを除外して、二週間あたりの売り上げを控えめに3,500ドルだとしよう。すると

3,500 x 26 x 0.2 = 18,200ドル

為替レートを75円とすると

18,200 x 75 = 1,365,000円

となり、低く見積もっても月に10万円の利益ということになる。

ど素人の副業としては十分だろうか?

それともガッカリされただろうか?

 

税金

オンライン物販は結構な手間がかかる労働だと前述した。

上記の利益がそっくりそのまま懐に入るなら、我々の労働も報われるかもしれない。

ところで以下はオーストラリアの税率だ。

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多くの人の所得は$37,001 ― $90,000 の間に入る。

仮に80,000ドルだったとしよう。

すると、それ以上稼いだ分に対し、税金が34.5%かかる。(Medicare Levy込み)

もし元々の所得が90,000ドルあったとしよう。

そうすると、それ以上稼いだ分への税金は39%かかる。(Medicare Levy込み)

さて、この手間のかかる副業は、やるに値するだろうか?

 

中国輸入、OEM、ODM、プライベートブランド…

年始にシドニーから友人が泊りに来た。

その友人には在庫部屋で寝てもらった。

また、友人とドライブ中にもNewsagencyに立ち寄って商品の出荷をした。

友人は訝った。別に隠す理由もない。

「Amazonで物販している」

そう言う私に、友人はやや意識高い系のセリフを吐いた。

「それって何か新しいスキルが身に付くの? (新しいことが学べないんならそんなことで小銭を稼ぐなんて時間の無駄じゃない?)」

「少なくとも、オンラインショッピングの裏側が分かるよ」

そう答えたが、実のところ私はもっと意識高い系だった。

 

私がまだ日本にいた頃、クリス・アンダーソンの”MAKERS”と”FREE”という本を読んでいたく感銘を受けた。(クリス・アンダーソンはロングテールという言葉の提唱者だ。)

そして、できることなら私も何か作ってネットで売ってみたいと夢想したものだ。

(私の本業は企業での研究開発だから、すでにMakerではあるのだが。)

だからその前段階として、まずは物販を試してみたのである。

 

中国輸入、OEM、ODM、プライベートブランド…等々、ネットには情報が溢れている。

私もそろそろ次の段階に進むべきだ――まだ気力が残っているならば。

 

実は安いオーストラリアの医療費

謎1

日本の歯医者に言われたことがある。

「あなたなら海外だったらもっと良い歯科治療が受けられますよ」と。

これは何を意味しているのだろうか?

 

謎2

ネットで「オーストラリア 医療費」を検索すると、「高い」ことを強調する記事と「無料」だからラッキー♪という記事の、両極端の結果が出る。

なぜそうなるのか?

 

謎2の答えは簡単だ。

高い、無料、いずれの主張も医療保険を負担している自覚がないからだ。

一方で、「海外なら日本以上の歯科治療が受けられる」という謎1はやや複雑だ。

しかし実はこれも、医療保険と関連しているのである。

 

天然すぎる同僚

私の同僚に在豪歴20数年という人物がいる。

あるとき彼女が「オーストラリアでは医療は無料」と発言したことがあった。

話の流れはこうだ。

同僚「日本に帰省したとき医者には行けるの?」

私「行けるけど、保険料を払ってないから高くつくだろうね」

同僚「へーそうなんだ。オーストラリアだったら医療は無料なのにね」

私は突っ込まずにはいられなかった。

私「いやいや、無料じゃないよ!」

同僚「なんで?」

私「収入の2%以上、保険料を払ってる」

同僚「私はそんなの払ってないわよ!?」

私「絶対払ってるって!」

 

私は衝撃を受けた。

この人、なんて天然なんだろう! と。

一方の私はと言えば、どうやって税金(医療保険料含む)を減らすかで日々、頭を悩ませていたからだ。

過去記事「毎年確実に27万円節税する方法」

彼女の鷹揚さに比べて、私はなんて、みみっちいことを気にしていたのだろう!

 

公的医療保険 日本 vs オーストラリア

オーストラリアと日本の公的医療保険料を比較した図を示す。

データ出所

国民健康保険(全国平均)

真面目に効率的に0から資産を増やす方法(概算)

ATO

単身、扶養家族なしでの比較。いつも通り 1豪ドル=80円 の計算。

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例えば、

年収400万円では、オーストラリアの方が年間12万円以上安い。

年収600万円では、オーストラリアの方が年間19万円以上安い。

年収800万円では、オーストラリアの方が年間24万円以上安い。

(オーストラリアの方が所得水準が高いのだからずらして比べても可。)

 

日本の方が多く保険料を支払っているにもかかわらず、医者にかかると三割負担である。

一方、オーストラリアでGPにかかっても(ほぼ)支払い不要だ。

 

過去記事「救急病院の便利な使い方 in オーストラリア」で書いた通り、酷い頭痛で三日連続GPに通ってMRI検査してもらったときも支払い不要だったし、救急病院も支払い不要だった。

よってオーストラリアの医療費は安いのである。

 

「ちょっと待てぃ! 専門医はバカ高いだろうが!」

とツッコミが入りそうだ。

 

実際その通りだが、そのために民間保険がある。

値段はピンキリだが、無駄に手厚すぎる保険に入らない限り、日本とオーストラリアの差額を埋めるのは難しいだろう。

つまりトータルではオーストラリアの方が安いという結論は変わらない。

 

ところでグラフにおいて、オーストラリアは750万円のところから急に保険料が上がっている。

高所得者は入院の保障が付いた民間保険に加入していないとMedicare(公的保険)が高くなるからだ。

  • 約750万円までは所得の2%
  • 約750万円からは徐々に上がり、最大、所得の3.5%

 

逆に、入院保険付帯の民間保険に入ればMedicareの値上がりは防げる(所得の2%が維持される。)

ちなみに所得750万円なら安い入院保険は8万円くらいだ。

 

運悪く、安い民間保険ではカバーできない病気になることもあるかもしれない。

しかし、ほとんどの場合においてオーストラリアの方が有利なのだ。

だから、「オーストラリアの医療費は高い!」などと騒ぎ立ててはいけないのである。

 

オーストラリアの歯医者は高いか?

さて、冒頭における日本の歯医者の発言「あなたなら海外だったらもっと良い歯科治療が受けられる」とはどういう意味だったのだろう?

 

ここで「あなたなら」というのは、「普通に収入があり公的医療保険を負担している人なら」という意味である。

すなわち歯医者の含むところは、

「日本では法外な公的医療保険を払っていても三割負担しなければならず、あげくにしょぼい歯科治療しか受けられない」ということだ。

 

分かり易い例としては、クラウンと呼ばれる奥歯の被せ物だ。

保険治療だと、銀歯しか入れてもらえない。(最近になって一部改善されたが。)

あれほど高い保険料を払い、三割負担してこのザマである。

 

オーストラリアのMedicareでは歯科治療はカバーされないが、そもそも負担が少ない。

運悪く歯医者での出費がかさむ年もあるかもしれないが、それは毎年起こる訳ではない。

長期的な医療費は決して高くならないだろう。

あるいは、しょっちゅう歯医者のお世話になる人は、奮発して手厚い民間保険を組み合わせておけば良い。

 

日本のサラリーマンの医療費負担はまだ上がる?

過去、日本のサラリーマンの社会保険料は問答無用でどんどん上がって行った。

最近のニュースによると、来る超高齢化社会の医療費増に備えて、医師会が「サラリーマンの医療保険負担増」を提案したらしい。

消費増税を騒ぐ前にこっちを騒ぐべきだろう。

 

救急病院の便利な使い方 in オーストラリア

異国で病気になるのは不安なものである。

特に原因不明の病気は。

一年ほど前、私は謎の頭痛にみまわれた。

 

自殺頭痛

その頭痛には規則正しいサイクルがあった。

毎朝7時半くらいから目の奥が痛み出し、次第に激しい頭痛へと変わり、正午くらいに治まり始め、昼過ぎには回復するのである。

その間の痛みは大変なもので、ベッドの中で数時間もんどりうつような状態だった。

(北斗の拳でレイが延命のためにトキに秘孔を突いてもらったときのような。)

 

ネットで調べたところ、私の症状は「群発頭痛」に似ていた。

またの名を「自殺頭痛」と呼ぶらしい。

(自殺したくなるから。)

その別称が納得できる点についても、私の症状は「群発頭痛」と似ていた。

 

その症状が二日続いた後だったか。

ともかく、昼過ぎには起き上がれるようになるので、私は近所のGP(かかりつけ医)を訪ねた。

 

GP(かかりつけ医)制度

日本では自分の症状から推測していきなり専門医に行けるが、オーストラリアではまずGP(かかりつけ医)に行かなければならない。

そして紹介状をもらって専門医に行く。

(ただし確信はない。別の方法もあるかも知れない。) 

 

GP制度は端的に不便である。

二度手間になるからだ。

また私の主観だが、オーストラリアのGPは、日本の町医者より劣る。

GP制度は素晴らしいと礼賛する人もいるが、私はこの制度に良いイメージを持っていない。

 

「GPはブローカーにすぎない」

過去に同僚のインド人がGP(かかりつけ医)について、そう揶揄していた。

GPは、専門医を紹介するだけの仲買人でしかない――そういう意味だ。

私はこれを、言い得て妙だと思っている。

 

ありがちなGPの対応

さて午後になって回復した身でGPを訪ねたものの、相手は全く本気で取りあってくれない。

私は群発頭痛の説明を印刷したものや、自分の体調の経時変化を記したノートを持参したがロクに見てくれない。

体温を測定したり喉の奥を見たりと、通り一遍の診察をした後、

「じゃあ、証明書は要る?」

と軽いノリで尋ねてくる。

 

なぜそういう対応になるのか?

過去記事「有休取ると給料17.5%増し」にも書いた通り、オーストラリアの会社では有給休暇とは別枠でSick Leaveがあり、それを取得するには医師の証明書を提出しなければならない。

 

逆に言うと、仮病でも医師の証明書さえあれば立派なSick Leaveになるのである。

だから恐らく、GPを訪ねる何割かの人の症状はさほど深刻ではなく、単に「証明書」が必要でやって来るのだ。

GPは日々、そうした「患者」に接している。

「自分の仕事は証明書を発行すること」とさえ考えるようになっているかもしれない。

 

実際私も、初診時はそれほどdesperateではなかった。

明日になれば治っているかも、と楽観視さえしていた。

 

規則正しくやって来る自殺頭痛

しかしながら私の楽観は打ち砕かれる。

翌日も、死にたくなるほどの苦痛に苛まれた。

 

この病気が深刻であることを知らしめるため、この日も同じGPを訪ねた。

というのも、別のGPに行くと、初診からやり直しになるからだ。

おそらくこの日もまだ彼は本気ではなかったが、データベースで専門医を調べて連絡先を教えてくれた。

 

さてその専門医に電話してみると、予約は2か月先にしか取れないと先方は言う。

私は絶望的な気分になった。

 

さらにその翌日、やはり頭痛は来た。

私は粘り強く、またも同じGPを訪ねて懇願した。

「頼むからどうにかして欲しい」

 

相手はようやく本気になった。

病院内のMRI検査を受けさせてくれ、専門医に自ら電話して私の予約を融通しようとしてくれた。

それでもしかし予約は取れない。

「そんなのは耐えられない」

私は必死に訴えた。

 

GPによる最高のアドバイス

彼はしばし考えこみ、これは大きな声では言えないが、と前置きして言った。

「救急病院に行ってみろ」と。

 

私は藁にもすがる思いだった。

その日のうちに救急病院に行き、「XX科で見てもらうように」というGPの診察内容を伝えた。

 

専門外の医師による適切な診察

XXに通され、診てもらうまで2時間は待っただろうか。

ようやくXX専門の医師が現れた。

私の症状やMRIの結果を一瞥すると彼は無下に言い放った。

「君はXX科じゃなくて、YY科に行くべきだった」

続けて彼は言った。

He is wasting your time!

「そのGPは君の時間を無駄にしている」と。

 

だがたぶん本音では

He is wasting my time!

「そのGPは私の時間を無駄にしている」だったのだろう。

 

ガーン!

一瞬、また最初からやり直しかと思ったが、それでもこの医師は薬の処方をしてくれた。

どうやら、私の症状は奇病の類ではなく、よくある病気だったらしい!

 

今度はドラッグストアに走り、薬(抗生物質)を買って服用した。

(オーストラリアでも、夜も営業しているドラッグストアがあることを知った。)

 

そして翌朝…。

なんと頭痛は、ほぼなくなったのである!

何という薬の効き目!

何という適切な医師の指示!

 

素人でも知っている病気

週末をまたいで完治を確信した私は仕事に復帰した。

同僚に事の顛末を話すと、

「ああ、sinusがinfectedで圧迫されたのね」

と、明快に私の症状を分析した。

それを横で聴いていた別の同僚は

「自分もなったことがある。Massive headacheが…」

と言及した。

 

救急病院のゴタゴタで、私の病気が群発頭痛だったのかどうか分からずじまいだった。

けれどもそれは、素人でも知っているくらいありがちな病気だったのだ。

GPの何という無能っぷり!

 

救急病院利用は正当化されるか?

ちなみに救急病院は無料だった。

(私はMedicare Cardを持っているから。)

日本でも無料であるのをいいことに、大した病気でもないのに救急車を呼ぶ人がいるという問題がある。

 

私の場合、救急病院を利用したことは正当化されるだろうか?

もちろん、正当化される。

私の事例こそ、救急病院が機能した最たる例である。

市民の納税(私自身のを含む)が意義あることに使われたのだ!

 

またGPは完璧なsolutionを提案した。

さすが経験豊富な医師。その解決法は私には絶対に思いつかなかった。

 

また、救急病院の受付の人は

「専門医が予約できなくて救急病院に来る人はけっこういる」

と事もなげに話していた。

彼らにとって私のような事例は日常茶飯事のようだ。

だから病気や怪我をして急ぎの場合は迷わず救急病院を利用すべきである。

 

I haven’t a car. は正しいか?

2004年頃、シドニーには無料の語学学校(英語)が存在した。

そこは、「語学学校の講師を目指す人が訓練するための学校」で、生徒は「ボランティアで受講してあげる」というシステムだった。

だから料金を支払うのは講師見習いの方で、生徒は無料だったわけだ。

 

毎日、午後に2~3時間ほど授業を受け、その後は生徒仲間でつるんでいたものだ。

(なんてお気楽な時代だっただろう!)

 

無料語学学校では、授業内容はローテーションされていたから、しばしば同じ内容の授業を受けることがあった。

すなわち、今週、講師Aが仮定法について解説し、翌々週、講師Bが再び仮定法を教えるといった具合に。

 

「また同じ文法?」

そう不平を漏らす生徒もいたが、私は全然気にならなかった。

不満を言う割には、彼らの誰一人として仮定法や過去完了形を会話中で正しく使ってなどいなかった。

だから繰り返し練習すべきなのだ。

 

また、講師は必ずしもネイティブスピーカーではなかった。

韓国人留学生が講師をやったときなどはこちらまでヒヤヒヤしたものだ。

 

さてその中で、ナニ人か忘れたが

I haven’t a car.

のような構造を持つ例文をホワイトボードに書いた講師がいた。

 

私は衝撃を受けた。

日本の中学、高校、大学において、そのような文章を習ったことがなかったからだ。

 

当時私は、語学学校仲間から「文法を一番分かっている人」と目されていた。

日本人がしばしば体験する現象である。

 

クラスが終わった後、私はその講師に控えめに言った。

「その文章は間違っているのではないか」と。

 

彼は自信満々に答えた。

「そんなことはない」

 

私は食い下がった。

「I don’t have a car. もしくは I haven’t got a car. なら分かるが、I haven’t a car. なんて聞いたことがない」

 

彼は憐れみに満ちた目で私を一瞥した。

「(君は知らないかもしれないが)そうなっているんだから仕方がない」

 

私は衝撃を受けた。

私の知らない文法がまだ存在していたのか!?

よく言われるように、日本の英語教育は、英語の国では通用しないのか!?

(その講師はネイティブスピーカーではなかったが、準ネイティブレベルだった。)

 

釈然としないまま、私はその場から立ち去り、またシドニーからも去った。

 

私が再びシドニーに戻って来たとき、それから10年の歳月が経過していた。

 

シドニーではとある会社に雇われ、様々な国籍の人に囲まれて働いていた。

ところがある日、そんな私の平穏を揺るがす事件が起こった。

十数年振りに例の文法に遭遇したのだ!

 

I haven’t a car.

 

実際には「在庫がない」とかだったが、構造としては I haven’t a car. だ。

それは同僚の一人が私宛に書いたメモの中にあった。

特に準備せずにIELTSで8点取ったと自慢していた例の同僚だ。

 

古代を思わせる文法

I haven’t a car. は正しいか? についてはネット上で議論されている。

ネイティブスピーカーたちの意見を幾つかピックアップしてみる。

 

It's grammatically correct, but distinctly unidiomatic

文法的には正しいが、慣用的ではない。

 

No, it should be “I don’t have a car”.

いや、それは “I don’t have a car” であるべきだ。

 

It was once commonly said. British English and older US English used that construction

かつては普通に言われていた。ブリティッシュイングリッシュと古きアメリカ英語ではその構造を使った。

 

It is technically correct but archaic.

名目上正しいが、古めかしい。

 

It is technically correct, but it sounds awkward and stilted, particularly in American English.

名目上正しいが、不自然だし堅苦しく聞こえる、特にアメリカ英語では。

 

“I haven’t a car” is neither grammatical nor formal.

“I haven’t a car” は文法的におかしいし、フォーマルでもない。

 

It is technically correct, but it is seldom heard both in the UK and the USA.

名目上正しいが、イギリスでもアメリカでもほとんど聞かれない。

 

…等々。

 

また別のサイトでは、入念に調査した結果、以下のように結論づけている人もいる。

Sentence 1 (= I haven’t a car.) is unacceptable. However, why are so many people still using such form. It seems that it is an old form of British English. It is why both commentators did not reject it as totally incorrect.

 

I haven’t a car. は許容できない。しかしなぜ多くの人がいまだにその構造を使っているのか。それは古いブリティッシュイングリッシュの構造だ。だから(中略)それが完全な誤りだと断定しなかったわけだ。

 

私の結論

以上を総合すると、I haven’t a car. は必ずしも誤りとは言えないが現代では不自然であり、使った場合、意味は理解してもらえるが、今やほとんど誰も使わない。

少なくとも、語学学校で堂々とホワイトボードに書くべきではないだろう。

 

1豪ドル=70円 は買いか? ― お得な両替方法

円高が進行している。

現在、1豪ドル=71.4円を付けている。

豪ドルに対してここまで円高なのは、GFC(世界金融危機)以来、約10年振りだ。

 

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GFCで市場が荒れ狂う最中、私は一つ、素晴らしい行動をとった。

FXにて、

1豪ドル=65円 で5万ドル

1豪ドル=70円 で2万ドル

平均66.4円 で7万ドル のポジションを持ったのだ。

 

いつかオーストラリアに移住する!

そう決めていた私はセントラル短資というFX事業者の口座を開設していたのだった。

(セントラル短資は低コストで両替サービスを行っているから。)

 

その7万ドルポジションを6年近く保持し続け、オーストラリアへ移住する2014年末、ついに豪ドル キャッシュに換金して、予め開設しておいたANZに送り付けた。

これには感慨深いものがあった。

 

2014年末、為替レートは1豪ドル=100円になっていた。

一方、私は平均66.4円 で買った7万ドルを持っていた。

したがって移住当初、私の中では買い物は全て33%割引だった。

 

なぜ7万ドルしか買わなかったのか?

平均66.4円 で7万ドル買って大成功!みたいな話をしているが、実のところそうでもない。

私が買いポジションを持った後、豪ドルはさらに下げたからだ。

1豪ドル=55円まで行った。)

 

1ドル60円割れなんてどう考えてもお得でしょ!

なんでもっと買わなかったの?

とあなたは思うかもしれない。

 

私がそれ以上買わなかったのは、他の通貨や株も含めて含み損があったからだ。

そもそも平均66.4円 の7万ドルでさえ、1ドル55円まで下げたときには70万円以上の含み損だ。

 

だから心理的に、それ以上買いを入れるのは困難だったわけだ。

(長い時間を経て、結果的にそれらの含み損は元に戻ったが。)

 

当時は市場が混乱を極めていたから安易な行動は取れなかったのである。

 

1豪ドル=70円 は買いか?

これから移住や留学する人は運がいい。

対豪ドルで、ここ10年で一番の円高だからだ。

 

1豪ドル=70円 は得だと私は思うが、相場はいつも想像以上に動く。

1豪ドル=60円 や

1豪ドル=50円

にならない保証はどこにもない。

 

 

平均的な日本人は金融リテラシーが極めて高いから、株式市場が不確実性を増す現在、キャッシュポジションの割合を高めていることだろう。

 

今後、極端な円高局面が訪れるかもしれない。

移住や留学を予定されている方は、私の失敗例?を参考に、円高のチャンスをモノにしていただきたい。

 

セントラル短資を利用した両替方法

以下、5万ドルを1万円以下のコストで両替&送金する具体例を記す。

(ある程度まとまった額を両替する場合、過去においてはこれが最も低コストだった。)

 

1.外貨口座のある日本国内銀行口座を開設する。

  私は新生銀行を利用した。

 

2.「セントラル短資FX」のFXダイレクトプラス口座を開設する。

  外貨の出金口座に1で開設した口座を指定しておく。

 

3.100万円程度入金する。

  5万ドル両替するとしても証拠金は100万円以下で足りる。

  心理的に抵抗なければもっと入金しておいた方が無難。

 

4.AUD/JPYの買いポジションを必要量持つ。

  単純に言うと、AUD/JPYを買う。

 

5.WEB取引画面で「受渡し」を指示する。

  説明が書かれてあるページ

  ↑「通貨両替」でなく、「外貨調達・受渡し」であることに注意!

  1万ドルあたり500円の手数料かかる。(500円しかかからない!)

  セントラル短資内の口座に5万豪ドルが表示されるまでに2営業日かかる。

 

6.日本国内銀行口座へ「出金」を依頼する。

  説明が書かれてあるページ

  ↑「外貨の出金」参照

  どの銀行に出金するかで手数料異なる。ページの下の方参照。

  (新生銀行へは1500円だった。)

 

  外貨のまま、国内外貨口座に送金されることを要確認。

  セントラル短資からの出金に4営業日かかり、受け取り銀行側でさらに1日かかるかも。

 

7.日本国内銀行からオーストラリアの銀行へ送金依頼する。

  (新生銀行は4000円かかった。)

 

5万ドルの両替&送金コスト

合計 2500円+1500円+4000円=8000円

これと、オーストラリアの受け取り銀行側で10数ドルかかる。

 

日本人の高すぎる金融リテラシー

オーストラリアの不動産屋とテナントの会話…

 

不動産屋 「今回の家賃のお支払いがまだですが」

テナント 「その件で相談なんだけど…」

不動産屋 「はい」

テナント 「家賃の支払い日を給料日の翌日にできないかな?」

不動産屋 「可能ですけど」

テナント 「そうしないとすぐに使い切って家賃が払えなくなるから」

 

「日本人は金融リテラシーが低い。だからダメなんだ!」

と言う人がいる。

 

日本人の金融リテラシーが語られるとき

比較対象は

  1. 欧米人(オーストラリア含む)で

日本人がダメな理由として挙げられるのは

  1. 株や不動産などに投資しないから

である。

 

欧米人(オーストラリア含む)が、日本人よりも金融リテラシーが高いというのを、私はどうしても信じられない。

 

というのも、私がオーストラリアで出会った人たちは、経済や投資についてトンチンカンなことを言う人ばかりだったからだ。

だから私は、

日本人の金融リテラシーはむしろ高いのでは? いや、高すぎるのでは?

と本気で思うようになった。

以下にその理由を説明する。

 

そもそも金融リテラシーとは?

朝日新聞によると

金融商品やサービスの選択、生活設計などで適切に判断するために、最低限身につけるべき金融や経済についての知識と判断力。「金融リテラシー・マップ」では、この能力を「生活スキル」と位置づけている。

とのことだ。

 

つまり、「生活に支障をきたさぬよう、お金を有効に使ったり計画的に貯めたりする」ことができればそれで合格なのである。

 

巷で言われる「金融リテラシー」のイメージは

「株などに投資してタイミング良く売り抜けて利益を得る」

といったところだろう。

 

しかしそれは「ものすごくレベルの高い金融リテラシー」であって、世の中のほとんどの人に、そんな技術は要求されていない

 

金融リテラシーが低い分かり易い例

私の知り合いには不動産エージェントがたくさんいる。

彼らから、オーナーやテナントの笑える話をよく聞く。

 

その中には冒頭の会話のように、「有り金はすぐに使い切っちゃうから家賃が払えない」という話がものすごく多い。

そもそもシドニーやメルボルンの家賃が高すぎるのも理由の一つだが、計画性がなさすぎるということも挙げられる。

これは金融リテラシーが低い一例だ。

 

過去記事「P2Pレンディングでボロ儲け」で紹介したように、オーストラリアではパーソナルローンという借金が大流行である。

10%前後の金利を払って借金するなんて、金融リテラシーが低いと言わざるを得ない。

 

手元資金を使い切ったり、高利の借金をしたり……将来、彼らは行き倒れてしまうだろうか?

いや、必ずしもそうならないだろう。

そんなふうに金融リテラシーが低くても、正当化される場合があるのだ。

 

貯蓄しないことが正当化される条件

以下にインフレ率の国際比較を示す。

(この図は政治経済評論家である井戸万作さんのTwitterから拝借した。)

  

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オーストラリアは過去20年において、インフレ率が平均2.5%だった。

インフレの世の中においては、将来、お金の価値は目減りする。

 

インフレ率2.5%が20年続くと、現在のお金の価値は20年後に61%になる。

言い方を変えると現在の100ドルの価値は20年後に61ドルになる。

であるならば、今、手元にあるお金は貯金せずに使ってしまった方が得だ。

 

もちろん人々は、毎度そんなことを考えて消費したりしなかったりする訳ではない。

人は、欲望の赴くまま行動すれば、手元のお金は後先考えずにすぐに使ってしまうだろう。

 

インフレの世の中においては、後先考えずに消費しても、その行動は結果的に正当化される。

言い換えると、世の中がインフレであれば、貯蓄しなくても後になってさほど問題にならない。(賃金も上昇するから)

 

加えてオーストラリアでは給料が週払いだったりする。

ひょっとするとそれも消費行動に影響を与えているかもしれない。

 

デフレなら貯蓄は合理的な行動

一方で、日本の過去20年の平均インフレ率は0.1%だ。

インフレ率がマイナス、つまりデフレの年もあっただろう。

 

デフレの世の中では、お金の将来価値は上がる。

つまり貯蓄は経済的に合理的な行動なのである。たとえ利子が0%であっても。

 

合成の誤謬

将来の支出に備えて貯蓄に励むのは、個人の行動としては、完全に合理的だ。

デフレ圧力の強い日本では、円預金が最強の投資になり得る。

(デフレ圧力=円高圧力)

 

過去記事「日本人はリスクが大好き」の冒頭の会話でも触れたが、日本円定期預金一択というポートフォリオは、実はけっこう理にかなっている。

 

しかし貯蓄が個人として経済的に合理的な行動だとしても、皆が同じ行動に走ると、全体としては、

消費の低迷=景気の低迷

という不利益を生じる。

これは合成の誤謬と呼ばれる現象だ。

 

日本経済が長らく低迷している理由の一つは、日本人の金融リテラシーが高すぎるからなのである!

(非生産年齢人口の増加 & 生産年齢人口の減少 が根本的な問題だが。)

 

日本人は金融リテラシーを下げるべき

平均的な日本人(=金融リテラシーが高い)の投資行動を格好良く?描写すると

  1. 日本の株式市場や不動産市場の不確実性と、
  2. 潜在的なデフレ圧力(=円高圧力)を鑑み、
  3. 合理的な判断の結果、
  4. リスク資産の割合を下げ、
  5. 世界最強通貨の一つである日本円によって
  6. キャッシュポジションの割合を高く保っている

となる。

 

日本人がもっと金融リテラシーを下げて(バカになって)、後先考えずに消費しまくれば結果的に人々の収入は増えインフレ率の目標など簡単に達成されるはずである。